日テレ24時間テレビをを見て障害者はどう感じるのか?なぜ番組批判が高まっているのか考えてみる
2019/08/24
画像引用元 http://www.ntv.co.jp/24h/
8月25日から26日にかけて今年(2018年)も日テレ24時間テレビが放送された。
自分自身は24時間テレビはほとんど見ないし興味もない。
しかし最近ツイッターなどで24時間テレビが批判される事が目立ってきた。
それにはNHKの番組「バリバラ」が大きく関係している。
障害者の取り上げ方についても批判されていて、当サイトと関係あると思い、事の顛末を調べてみようと思った。
最近の日テレ24時間テレビ批判のきっかけとなったのはNHKバリバラによる批判、
「24時間テレビは感動ポルノではないか?」
ネットでは24時間テレビ出演者のギャラも問題視されている。
そこから派生して日テレの利益と寄付金の問題も浮上してきた。
問われているのは
- チャリティー番組のあり方
- メディアでの障がい者の取り上げ方
なのだと思う。
目次(見たいポイントに直行)
24時間テレビとNHKバリバラ
24時間テレビ
番組スタートは1978年。
第一回は「寝たきり老人にお風呂を、身障者にリフト付きバスと車椅子を!」というテーマで始まった。
当時の寄付金総額は12億円程度で、これにより、リフト付きバス4213台、訪問入浴車92台、そして電動車椅子が361台贈呈された。
その後毎回、同程度の成果をおさめている。
この成果も含め、障がい者の存在を一般の人が認識するという点で日テレ24時間テレビは意義があるという意見も多い。
今年2018年は西日本豪雨の被害の方への募金など、扱うのは障がい者だけではなかった。
2018年番組終了時点での募金額は2億6,787万円。
24時間テレビの番組の目的は「一般の健常者に障がい者がいる事を認識させ募金をしてもらう」という事で、あくまでも健常者に向けた番組だと思う。
番組では障害者をヒーローにした感動ドラマが毎年作られるが、これを見た障害者の方で嫌悪感を感じる人がとても多いのは事実だ。
2006年以降、感動ドラマの主役はジャニーズのタレントしかやっていない。
人気男性タレントを起用しているのだから、メインターゲットは当然女性だろう。
とても人気のあるタレントを起用して視聴率を獲得する事は成功している。
この事は、なるべく多くに人に見てもらって募金をしてもらうという趣旨にはそっていると思う。
ただこの番組に対してたくさんの批判があることも事実だ。
目立っているのは「NHKバリバラ」番組内での批判。
それと障害者の側からこの番組を見るとどう感じるのかも、気になる。
NHKバリバラ
バリバラはNHK大阪が制作するバリアフリーバラエティー(障害者をテーマにしたバラエティ番組)。
障害者自身が(時には自らの障害をネタにして)笑わせることを目指した番組。
放送開始は2012年。
司会陣は山本シュウ以外は障害を持っている。
山本シュウ(DJ)
玉木幸則(自立生活センター職員、脳性麻痺)
大橋グレース(ボランティア団体運営、多発性硬化症)
大西瞳(陸上競技選手・リオデジャネイロパラリンピック日本代表、義足)
岡本真希(会社員、先天性四肢欠損症) – 2016年4月から
『笑っていいかも!?』(フジテレビ『笑っていいとも!』のパロディ)
テレビ朝日『ナニコレ珍百景』のパロディで、障害者にとって全く役に立たなかったり、かえって使いづらかったりする、変なバリアフリー設備を取り上げる『バリバラ珍百景』
などなど障害者をメインに据えたバラエティ番組になっている。
24時間テレビが批判されている内容
出演者がギャラを受け取ることについて
司会者が500万、マラソンランナーが1000万と噂されている。
実際、募金活動はボランティアによってサポートされている。
このことは番組をあまり見ていない私もなんとなく聞いたことがある。
このことから出演者もボランティアなのかというイメージがあった。
しかし現実には出演者はボランティアでやっているのではない事が一般には知られていない。
番組としてもビジネスとして成立させて結果として寄付金集めに貢献するというコンセプトだと思う。
引っかかっていたのは一般のボランティアと同じように出演タレントもボランティアだと思われていた事。
これは見る側の勝手な思い込みと言われればそうではあると思うが・・・。
「番組出演者、制作局側、全てがボランティア、ノーギャラでやってます」とは最初から言ってない事は事実。
チャリティーを扱ったバラエティ番組であると見るなら(実際そういうふうにしか見えない。)、出演者がギャラを受け取ることについては問題ないと思うがどうだろうか。
感動ポルノ(番組中での障害者の取り上げ方の問題)
番組中での障害者の取り上げ方が無理矢理感動を誘うような形になっている事から「感動ポルノ」という言い方で批判されている。
ドラマやイベント企画の中で障害をどう扱っているのかという問題。
こちらは真剣に考えないといけないと思う。
昔からある「お涙頂戴型」のドラマやイベント企画では通用しない時代になってきたという事を認識してほしい。
感動ポルノ
感動させるという目的ありきで作られるコンテンツ。
感動したいという欲望を刺激して結果を得るのでポルノという言葉が使われている。
詳しくは後述します。
寄付金
番組の収支が公表されていない。
日本テレビほか系列局自体は寄付金を出しているのか?
24時間テレビチャリティー委員会が「公益社団法人」へと移行した。
公益社団法人なら収支を公表した方がいいのではないか。
出演者がギャラを寄付すると(しようとすると)それが話題になる。
過去、萩本欽一
2018年、木村佳乃
明石家さんま、北野武、タモリなどのビッグネームが出演しないのはギャラの寄付を局側が拒否するためだとか、という謎。
大物タレントが寄付をすれば、その他のタレントもそうせざるおえない状況になるのがまずいらしい。
私の推測だが、そうなれば「局側は寄付をしているのか」という追求が厳しくなりそう。
年度ごとの寄付金
24時間テレビ放送当日の終了時点では2〜3億程度だが、その後、年間を通して募金は受け付けている。
[第34回] 2011年(平成23年) | 19億8,641万円 |
[第35回] 2012年(平成24年) | 11億6,847万円 |
[第36回] 2013年(平成25年) | 15億4,522万円 |
[第37回] 2014年(平成26年) | 9億3,695万円 |
[第38回] 2015年(平成27年) | 8億5,672万円 |
[第39回] 2016年(平成28年) | 8億8,748万2,001円 |
局側の利益
2018年で41回を迎える24時間テレビ。
収益としては成功しているからこんだけ続いているわけだ。
総額400億円近くの寄付金を集めてきたが、自身(局側)が寄付しているかは明確にしない。
チャリティーという名目で番組を作り、障害者を取り上げたコンテンツで視聴者を引きつけているのなら、自身が寄付しないのはおかしいと見られてもしかたがないのではないか。
このことについてネット上でいろいろなデマが飛び交っている。
24時間テレビの寄付金と番組制作費に関するデマ
24時間チャリティーマラソンに対する疑問
24時間テレビのマラソンは何年も続いている企画で「タレントが過酷なマラソンに挑戦する姿に一般視聴者は感動し拍手でゴールを迎える」をいう図式で成り立ってきた。
ただ近年は一般視聴者もテレビの裏側がわかってしまっているので、高額なギャラを貰い自分の知名度アップのため走るタレントを応援する人は確実に少なくなっている。
ここ5年間のマラソンのゴール時間をみてみよう。
年度 | ゴール時間 |
---|---|
2014年:城島茂 | 午後8時48分 |
2015年:DAIGO | 午後8時44分 |
2016年:林家たい平 | 午後8時46分 |
2017年:ブルゾンちえみ | 午後8時48分 |
2018年:みやぞん | 午後8時45分 |
延べ24時間ほどかかるマラソンのゴール時間がほぼ同じになる事はありえない。
明らかにコントロールされている。
しかし番組としてやっているのだからフィナーレに向けて時間調整をするのは当たり前といえば当たり前。
「8時40分から50分のあいだにゴールすることを死守してくださいね。」番組製作者からは当然こう言われているだろう。
あらためて考えると、「偶然フィナーレの時間にゴール出来ました」とは誰も言っていない。
24時間かけて番組のフィナーレの時間帯にゴールする事を目指して演者とスタッフが頑張る企画だという事は暗黙の了解になっているのだろう。
それを、きついマラソンで普通だったらこの時間には間に合わないのを「本人の努力とみんなの応援によってフィナーレになんとか間に合った」
という体にこだわるから偽善的に見えてしまうのだろう。
過去、途中棄権になったのは間寛平さんのときだけ
寛平さんの時は出発地点やコースを一般発表したために視聴者が殺到して危険な状態になってしまったので中止になったのだ。
それ以降は出発地点やコースを一般発表する事をやめた。
(寛平さんは翌年もトライして完走しています)
批判されているのはヤラセっぽいイメージになってきている事なんじゃないか
今年2018年の芸人「みやぞん」のトライアスロンを含め過去の演者の人はほんと真剣にやっているんだと思う。
でも番組としては、ちゃんと時間が決まっていて「8時40分から50分のあいだにゴールすること」がしっかり調整されているのは事実で、それだと「やらせ」というイメージを持ってしまうのだ。
「チャリティーとタレントが過酷なマラソンに挑戦する事に何の関係があるんだ」という批判のされ方もしているが、始まった当初はそういう批判は聞かなかった。
でも考えてみれば最初からチャリティーとなマラソンは関係ないと言えば関係ない。
なんとなくだが世間一般に24時間マラソンを走るタレントはノーギャラでやっているようなイメージを持っていたと思う。
それが今回の場合のようにギャラが推定1,000万と聞くと「なんだよ、1,000万かよ。応援するのばかみたいじゃね」というような風潮になっているような気がする。
精神障害は取り上げられない
うつ病・パニック障害等の精神障害者やADHD(注意欠陥・多動性障害)・ASD(自閉症スペクトラム)等の発達障害者はほとんど番組で取り上げられない。
ジャニーズのタレントが主役をやる日テレ24時間テレビ定番の感動ドラマでも精神障害者、発達障害者がテーマになる事はない。
見た目ではわからない精神障害者のことはこういう番組で取り上げて欲しいですね。
特に職場での理解が得られずに上司からの叱責、同僚からの陰口などで二次障害に陥る人も少ないないんです。
(ちょっと休憩)杉良太郎の話
ベテラン役者の杉良太郎氏は自腹でずっと慈善活動を続けているのはそれほど知られていない。
いままで活動に使った金額は数十億円になるそうだ。
これに対して、「偽善だ。」「売名行為だ。」と批判される事も多々あった。
これに対するインタビューの杉良太郎の対応はこうだ。
「ええ、偽善で売名ですよ。偽善のために今まで数十億円を自腹で使ってきたんです。私のことをそういうふうにおっしゃる方々も、ぜひ自腹で数十億円を出して名前を売ったらいいですよ」
個人的感想を言わせてもらうと「粋だね〜」。
感動ポルノとは
ここでは感動ポルノという言葉について説明してみます。
最近この「〜ポルノ」という表現が多用されているが、外国語「Porno」でのイメージはどうなのかわからないが日本語のイメージは正直よくないと感じている。
手足の不自由な人に登山をさせたり、水泳をさせたりする。
これは構造としてお笑いタレントに熱湯風呂に入らせたり猛獣の檻に入れたりするのと同じであるという見方。
製作者のなんとか視聴者を感動させようとしている意図が「感動ポルノ」と言われてしまっている。
ある障害者の意見
「24時間テレビは嫌い。あれが終わった後に外に出ると、知らない人にものすごく同情される。せいぜい3日ぐらいでそれも終わるけど」
製作者としては支援しているつもりなのだろうが逆に負担をかけている結果にもなっている。
感動ポルノとはステラ・ヤング氏の造語
障害を持ちながらコメディアン兼ジャーナリストとして活躍したオーストラリア人のステラ・ヤング氏(1982-2014)。
TEDの講演の中で、氏は以下のように語っている。
(障害者が困難なことに挑戦する画像を見せながら)こういったイメージは世の中にあふれています。
みなさんも、両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。
こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。
「ポルノ」という言葉をわざと使いました。
なぜならこれらの写真は、ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです。
1992年イギリスでは、こういった「感動ポルノ」的な描き方をするメディアに対して抗議運動がおき、1996年にはBBCによって障害者の描き方に関するガイドラインが制定された。
障害者を「勇敢なヒーロー」や「哀れむべき犠牲者」として描くことは侮辱につながる
何が感動ポルノかという判定は難しい
「全米が泣いた!」という宣伝文句のハリウッド映画は感動ポルノなのか?
制作側が始めにストーリーを用意しておき実際とは違う部分はストーリーによせて無理やり作っていくノンフィクション風の番組は明らかに感動ポルノだが、今の時代そういうものは少なくなってきている。
たとえば場面場面で感動を誘うような音楽が入るとイメージは大きく変わるがそういった演出も感動ポルノになるのだろうか。
障害者の側から24時間テレビを見るとどう感じるのか
障害者側からの意見
下半身不随により車いすで生活する障害者である「バリアフリー研究所」代表の木島英登氏へのインタビュー
日テレ24時間テレビを見てどう思いましたか?
『24時間テレビ』のように作られた演出で涙を誘うものよりも、リアリティーあるドキュメンタリー番組のほうが好きです
「かわいそうな人が頑張るストーリー」がわかりやすいから、受けているのかもしれませんね。事実、視聴率も高いから放送しているんでしょうけど、個人的には残念という思いはあります。
24時間テレビへの批判が高まっていることについては、
批判が高まっているといっても、テレビを見ている人たちは、批判されていることすら知らないかもしれません。
障害者が登山などに挑戦する企画については、
ただ単純に、やりたいことに挑戦しているだけなのかもしれないのに、取り上げ方が感動ストーリーになるのは、さすがに出演者もわかっていることでしょう。
お涙頂戴の番組と感じますが、年に一度ですし、別にいいのではないでしょうか。ちなみに、私のところへ出演依頼が来たことはありません(笑)。
24時間テレビのようなチャリティー番組については、
障害者運動は、世界的にチャリティー(慈善事業)からオポチュニティー(機会平等)へという流れなのに、いつまでもチャリティーをやっているのは時代遅れなのでは、とも感じます。
「NHKバリバラ」も含めて番組での障害者の取り上げ方については、
マイナス面をテレビで放送しても面白くないのかもしれませんが、実際は悲惨だったり苦労する話、差別を受けたりする場面もたくさんあるので、そういう部分も取り上げて、社会が変わるキッカケ、考えるキッカケを作ってほしいですね。
こんな見方もある。
ブログ「発達障害のメソッド」の運営者、よしまる氏の24時間テレビとNHKバリバラに対する意見。
感動ポルノと言っている、そんな「バリバラ」こそ本当の感動ポルノだと思う/発達障害のメソッド
「24時間テレビ」を「感動ポルノ」と言うのであれば、「バリバラ」という番組自体も障害者をテーマに視聴率を得ようとしている点で「24時間テレビ」と何が違うのでしょうか。
24時間テレビが感動ポルノと批判されることについては、
障害者中心に番組を企画し、これだけ強烈な印象を与え、人の心を動かしたという意味では、「バリバラ」のほうがむしろ本当の「感動ポルノ」ということになりはしませんか。
24時間テレビを「感動ポルノ」だと言って叩けばいい、みたいな風潮の中で注目しなければいけない意見だと思います。
なんでもかんでも「感動ポルノ」という批判をされる事については、
子どものころヘレン・ケラーの伝記を読んで、「自分は目も耳も聞こえて良かった」なんて思った人がどれくらいいるのでしょうか。むしろ「障害の壁を超えようとした姿」に力をもらうのではないでしょうか。あなたは、子どもにこれは感動ポルノだからと、取り上げるでしょうか。
感動ドラマに対する健常者と障害者との受け止めかたの大きな違い
24時間テレビの中で放送される障害者のドラマに対する好き嫌いアンケート。
健常者は好き50%、嫌い50%
障害者は好き10%、嫌い90%
健常者が感動ドラマを見て感情移入して涙するプロセスと、障害者が同じものをみて90%の人が嫌悪感を感じるプロセスとの違いはなんだろう?
リアリティの問題だろうか?
健常者はあくまで作れられたドラマとして見る、言い方は悪いが無責任に感情移入出来る。
一方、取り上げられているテーマの当事者としてドラマを見ている障害者からすると、ヒーローとして美化されて描かれる事が多いのでリアリティが感じられずにどうしても冷めた目で見てしまう。
健常者の意見として「障害があっても頑張る姿に感動した」。率直な感想だと思う。
ドラマを見た一般視聴者が内容に感動するのはそれぞれの自由だし、それによって障害を持つ人を理解するきっかけになったり募金したりするのは、とてもいい事ではある。
しかし、この感動ドラマを見たとき多くの障害者が嫌悪感を持つという事実がある。
テレビ番組なのでマーケティングリサーチはされているはずで、当の障害者からは支持が得られていない事はわかっているはずだ。
なぜ90%もの障害者が嫌悪感を感じる感動ドラマあを毎年作り続けるのか。その方が視聴率が取れる、募金が集まる、そして結果としてお金が儲かる、という事なのだろうか?
自分の場合、実際に障害者を描いたドラマで感動した事はある。
しかし同じものを障害者が見て嫌悪感を覚えるんだという事を意識した事はなかった。
「障害を抱えて頑張って生きている姿に感動した」こう言われた、障害者はどう思うのだろう。
「自分なりに普通に生活しているだけですけど」だろうか。
日本(24時間テレビ)と海外のチャリティーショーとの違い
海外のチャリティー番組
・出演者全員ノーギャラ
・メイン司会者がギャラがもらっていたら大きなスキャンダルになる。
・番組で発生したお金は全て募金
・CMは流れない
24時間テレビ
・マラソンランナーに1000万、司会者に500万(と言われている)
・ギャラを寄付すると大きく報道される。(珍しいから)
・通常番組より高いギャラ、高い広告料になっている。制作局側が利益が出た分を募金にまわすという話はない。
・CMは流れる。障害者を支援する姿勢は良い企業イメージを作る。
萩本欣一がギャラを寄付した話が美談となっている。チャリティー番組なら当然と思ったら違って、とても稀有な事だったんだね。
しかし24時時間テレビの視聴率はいい。一般視聴者は好きな番組ではあるわけだ。
批判はおもにSNSなどネット中心で24時時間テレビを楽しんでいる一般視聴者は批判されている事も知らない。
その批判は話題作りには貢献するという皮肉。
(まとめ)24時間テレビを一方的に批判するのは簡単だが
なんか、みんなテレビに期待しすぎているのかな。
それとも24時間テレビという番組に期待しているのかな。
24時間テレビが障害者を取り上げる姿勢を変えていけば、世間の障害者に対する見方を変わっていくと期待しているのだろうか。
ツイートでよく目にした批判で気になったものとそれに対する僕の意見
「障害者の夢をかなえてあげるためにこんな大勢の有名人や健常者たちが努力してあげるなんて素敵!感動!絆ばんざい!」という感動の仕方は的外れ。
解決する必要のない課題を勝手に作って、それを解決して内輪で盛り上がってるだけ。
コンテンツの作り方に対する批判なのだろうが、根本的な見方が違うと思う。
24時間テレビは「視聴率がいい番組を作って多くの広告収入が得られるスポンサーを獲得する」という民放テレビの制作姿勢に沿って作られている。
障害者の夢をかなえてあげるためにこんな大勢の有名人や健常者たちが努力してあげるなんて素敵!感動!絆ばんざい!」という感動の仕方
この作り方が視聴率を稼せげているのでそうしているだけ。
解決する必要のない課題を勝手に作って、それを解決して内輪で盛り上がってるだけ。
これは
タレントと障害者がチームを組んで困難な課題(山を登るなど)を作り、みんなで応援して、それを達成させみんなで喜ぶ。
という大昔からある、お涙頂戴型のコンテンツで、目的は広告収入を得るため。
番組を好きじゃない人からすると内輪で盛り上がってるだけに見えるが、「解決する必要のない課題を勝手に作って、それを解決」することで視聴率は稼げている。
一般視聴者のニーズに応えるためにこういう作り方になっているのだ。
このことからわかるのは、「24時間テレビは一般健常者向けに作られているバラエティー番組であるという事だ。
障害者の90%ほどの人がこの番組を「嫌い」と言っているのにもかかわらず、長年この制作姿勢は変わらない。
(芸能人に支払われるギャラも含めて)制作費をそのまま寄付したほうが良いのではないか?
番組もそれに出演する芸能人も「ボランティアでやってます」とは言っていない。
「番組制作の利益やギャラを募金することはしない」という姿勢は番組当初か変わっていない。
24時間テレビは今回(2018年)で41回を迎えるが40回までの寄付金合計は372億5395万5817円になるそうだ。
これだけの寄付金(募金)を集められたのだから十分評価されるべきだろうが、興味深いのはこの金額はすべて視聴者からの募金で成り立っている。
日テレは利益のうちの何%か寄付してもいいのじゃないかと思うがそれはしていないのだ。
番組サイドからも出演者サイドからも募金して、少しでも募金額を多くしようとは、これまでもこれからもしないのだろうと思う。
やらない善よりやる偽善
前述したように今年2018年で41回を迎える24時間テレビは毎回、多額の募金を集めて、それを運用している。
そのことは評価されるべきだと思う。
しかし
障害者のために使われるお金を障害者の気分を害する形で集めている。
という事実は変わらない。
まさに「やらない善よりやる偽善」になっていると思う。
参考にした記事
障害者は「感動ポルノ」として健常者に消費される–難病を患うコメディアンが語った、”本当の障害”とは
感動ポルノとは何か?人はなぜ感動を求めるのか?
感動ポルノはなぜ悪い?理想的な感動の作り方とは?
やらない善よりやる偽善の意味。24時間テレビって偽善?
感動ポルノと言っている、そんな「バリバラ」こそ本当の感動ポルノだと思う/発達障害のメソッド
以上「日テレ24時間テレビをを見て障害者はどう感じるのか?なぜ番組批判が高まっているのか考えてみる」という記事でした。
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